10月/意思を引き継ぐ決意

 9月6日㈰、前園長座光寺道子の七回忌を家族だけで行ないました。
 道子は、実母の介護をしつつ高校を卒業、佐藤幼稚園、蒲幼稚園に勤務しながら幼稚園教諭と保育士の資格を取得。あすなろ幼稚園を「設立したいから手伝って欲しい」と初代園長坂本清先生に頼まれ、設立準備の書類作成を一手に引き受け、幼稚園認可を受けました。あすなろ幼稚園開園後は、現場責任者として主任を続けました。
 私が大学一年生の時に父の後妻となり、磐田で「子どもの為の子どもの園(その)」を、と龍の子学園を設立しました。
 全く目標を持たずに学生生活を送っていた私に「せっかく大学に行っているのなら、教員免許を取ってみたら!」と勧めてくれました。資格だけなら「取っておいても良いか」くらいの軽い気持ちで教職課程の履修が始まりました。資格取得の為に仕方なく行った中学校の教育実習で考えが一変しました。成績不振でいつでも落ちこぼれだった私の事を生徒は「先生」と呼んでくれました。「自分が先生!?」天にも昇る心地になりました。そして「この生徒の為には何でもしてあげよう」と自然に思えました。授業の指導案作りも徹底的に勉強しました。初めて意欲的に自分から行動出来ました。そんな私の様子をみて「先生という仕事ほど、やりがいのある職業はないよ」と道子は教えてくれました。実習が終わるともう教員以外の就職先は考えられなくなりました。
 大学卒業後、高校教員を3年間経験しました。その時に、問題行動のある子の事で道子に相談すると必ず「どんな幼児期を過ごしたのか?」「母親との関係は?」を聞かれ、それが解決の糸口になりました。また上司や親戚、近隣の方への対応等も一つひとつ教えてもらいました。また龍の子へ勤務してからは「子ども一人ひとりの発達段階にあわせた経験をさせてあげる事が大切」「子どもの心に同意・共感してあげて、心を落ち着かせてあげる事が大切」等の関わり方の基本を教えてもらいました。養母ではありますが、人生の師であると思っています。
 幼稚園教諭時代、行事の準備で机を積んでいる時に転落し、それが原因で腎臓を傷め、薬を常用しても血圧200を下回る事がない中で、龍の子29年を含む48年間、幼稚園一筋に生きた66年間でした。「はじめに子ども在りき」、そして「母親は安心基地」を言い続けました。
 龍の子は今年度から「認定こども園幼稚園型」として2号(保育園部)の受け入れを開始しました。そして28年度より「認定こども園幼保連携型」として0~2歳児も預かる事になります。道子の意思を引き継いで「はじめに子ども在りき」の基本理念の基、今まで以上に「子どもの為の子どもの園(その)」となるよう努力する事を改めて決意します。